ロックンロールで踊らせて

読んだ本、見た映像作品(映画・アニメ・ドラマ・特撮)、聞いた音楽、行ったところ等何でも感想

『グリーンブック』のレビューのようなもの

『グリーンブック』(2018(日本公開は2019))

監督:ピーター・ファレリー

出演:ヴィゴ・モーテンセンマハーシャラ・アリ、リンダ・カーデリーニ

 

 アカデミー賞作品賞助演男優賞脚本賞受賞作ということで、期待値大で見てきた。最近流行り(?)の人種差別を一つのテーマとした作品。実話に基づいているとか。ストーリーは以下の通り。

 

 時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。

                        ―公式サイト「グリーンブック」

 

 さて、まず素直な感想ではあるが、これは明らかにミニシアター向けの作品。ストーリーにしても絵的にも派手さや極端な起伏がない。とにかく淡々と物語を進めて二人の関係性を築き上げていく。ロードムービーではあるけれど道中で二人が遭遇するトラブルも「山あり谷あり」と言う感じにはならない、あくまでも想像の範囲内で起こるものだ。それもそのはず、この映画は多くを実話に基づいて作られた「リアル」な作品なのである。そして、そのリアルさは間違いなく大衆向けとは思えない。映画好きな人がぶらっとミニシアターに足を向け、少ないシアターの中でのほほんと見るタイプの映画である。それが最も表れているのは終盤。この映画には予定調和的な「クライマックス」が用意されていない。「ここで泣いてほしい」とか「ここで手に汗握ってほしい」みたいなシーンは存在しないのだ。

 例えばトニーとドクターが予定されていた演奏をやめて黒人のバーに行くシーン、これは非常に良いシーンだ。ドクターのピアノは所謂黒人的なものではない。そのバーに合ったサウンドかと言われればノーだ。しかし、聞いていた黒人たちは当初ドクターの服装を見て懐疑的な視線を向けていたものの、その演奏を聞いて盛大なる拍手を送る。盛り上がりはするが、このシーンはやはり「クライマックス」と言うには足りない。おそらく作中最も絵的にも内容的にも盛り上がりはするが、この作品自体が(意外にも)「音楽」に重きを置いたものではないために強い感動を覚えはしない。また、バーを出た後の一騒動も「感動」のベクトルにおけるカタルシスを弱めている。

 また、警官に車を止められたと思ったらただの親切だったというシーン。南部では車を止められたのちに拘留までされていたわけだから、ここでの警官の純粋なる親切は対照的によく映える。しかし、ここでこの警官の人格は必要最低限しか描かれない。顔もしっかり映されないし、セリフも少ない(というか登場シーン自体が少ない)。

 最後のクリスマスのシーンもだ。「感動的」と言えなくもないが、ドクターがトニーの家に来た時の家族の反応もあまり良くはない。

 全くあざとさがない。この映画は兎角盛り上がりに欠けているのだ。

 だが、それで良いのだろう。この映画の良さはそこにこそある。必要以上の過剰演出を見せないことで、確かにこの物語が其処に存在してると思わせる説得力を持たせている。見る者たちが絶対に期待しているようなことをやらない、それはあえてやらないのではなく、純粋に描きたいものを描いた結果としてそうなったのだ。

 改めて前述のシーンを考えてみよう。バーのシーンは私が一番好きなものだ。ドクターが自分の演奏を終えた後、バーにいたバンドメンバーが一言も交わすことなく唐突にセッションを始める。ドクターもそれに応える。この時の彼の顔!おそらく生まれて初めてだと思われる黒人ルーツの音楽のセッション、大体にして彼のピアノはクラシック育ちなのだからセッション自体あまり慣れていなかったのではないか。それまでどこの舞台でも見せなかった彼の緊張の面持ちが、この「薄汚い」バーで見られるのだ。そして彼は見事にそれをやってみせる。気分が乗ってきた時の彼のはちきれんばかりの笑顔が印象的である。それまでのどこか作ったような笑顔ではなく、自然なものとして見られるのだ。バーを出た後のことも、綺麗に終わりそうなところで銃をぶっ放してぶち壊しにするところが非常にトニーらしいし、それに対する驚きと動揺の顔を見せるドクターも実に自然な滑稽さで楽しい。

 警官のシーンも、確かに彼の出番は少ないがそれでいいのだ。彼は別段それを特別なことだとも思わずにやっているし、トニーとドクターもそれを初めは多少驚きながらも素直に受け取る。必要最低限の長さと密度でそれが描かれる。個人的に警官がパンク修理中に後続車に「避けて通れよ」と叫ぶのが好きだ。

 ラストのシーンは確かに「感動的」というには足りない。もし、より「感度的」にするならば、トニーがドクターの家を訪れるべきである。それを求めている観客もいるはずだ。しかし、実際には逆だった。それが史実に基づいているからかは分からないが、これは非常に重要なところだと思う。ドクターは白人でも黒人でもない孤独な人間である。彼は、自身が孤独であることを如何ともし難い事実として受け入れるしかないと考えていた節がある。途中彼が激高して告白したように、それまでの経験からして自分はそうした孤独な人間でなければならないような気すらしていたのかもしれない。実際、ドクターとトニーの距離感はCMなどで見られるほど近しい感じがしない。トニーはドクターのピアノの腕を見てからかなり親しさを持って接しているが、ドクターの方は最後まで距離を置いている。実際、ドクターの方には、トニーの印象を覆すような契機は無かったわけだから、その人柄に接して徐々に近づいて行くしかないのだ。彼の心は旅の中で少しずつほぐされていく。クリスマスの日、初めはトニーに家に寄るよう言われても断ってしまうが、彼は結局トニーの家にやって来る。孤独な人間として、黒人でない黒人としての使命感を抱いていたドクター、彼は社会的な束縛に対抗しようとして自分自身の束縛にしがみついていたが、遂にそこから解放されたのかもしれない。

 本当にあざとさのない作品で、「これ、アカデミー賞と聞いて見に行ってほとんどの人が批判するパターンでは?」と思ったが、映画サイトでもかなり高評価のようで意外であった。他にも演者の素晴らしさとか、人種差別の根深い問題とか、色々と述べるべきところはあるだろうが、取り敢えずはこれくらいにしておきたい。

 「グリーン・ブック」が何故アカデミー賞に選ばたか、それを少し考えてみて、勿論流行りはあるだろうが、それはそれとして本当に欠点が少ないからではないかと感じた。加点要素は大きなものはなくとも小さくじわりじわりと積み上げていき、一方で減点要素は少なくとも私には見当たらない。「面白いけれどこのシーンは作る前に一回自分に相談してくれれば良かったのに…」となってしまいがちな私にとっては、なかなか稀有な作品であった。私としてはこの作品、「大好き」というほどでもないが、「なんとなく好き」だ。どこがどう良いかなど簡単には言えないが、その空気からして「なんとなく好き」なのである。だから誰かに勧めることはあまり出来ない。こういうタイプの映画は一人でニヤニヤしながら楽しみたいのだ。アカデミー賞だと言われるとどこか肩透かしを食らったような気がしてしまうのは事実である。